第9期 基礎講座「経済と地域~これからの生き方・働き方」

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第9期 真庭なりわい塾は、いよいよ終盤です。12月20日~21日(土日)に開催した基礎講座では、経済や環境、地域に関する塾長、副塾長による総括講義のほか、卒塾式に向けたのワークショップを実施しました。

◆「振り返りワークショップ~これまでの人生の棚卸しをしてみよう」

真庭なりわい塾では、これからの生き方、働き方を考える上で、自分なりの「豊かさ」や「幸せ」の基準をみつけることを大切にしています。
初日のワークショップでは、塾生それぞれが、生まれてから現在までの人生グラフを作成し、大切にしたい経験やスキル、興味・関心、あるいは価値観を発表し、共有しました。

また、塾に参加した動機やその後の気づき、自身の変化を、お互いにインタビューし合い、振り返りました。それぞれがあげたキーワードは、「知識・勇気・ユーモア」「分岐・複線・発見」「愛・命・時間の流れ」「笑顔・人とのつながり・共感」「サポートする・つなぐ・円満な関係」「土・コミュニティ・自然」など、さまざまです。何を大切に、次に一歩を踏み出すのか。お互いの思いを確かめあいながら、対話がすすんでいきました。

◆「幸せになるための地域経済」駒宮博男(副塾長)

「日に日に世界は悪くなる・・・。これはNHK連続テレビ小説『ばけばけ』の主題歌、ハンバート ハンバート『笑ったり転んだり』の歌詞に登場する印象的な一節です。テレビをつけると、毎朝、こんなフレーズを聞かされながら、皆さんは、今の世界をどう感じているでしょうか」。そんな問いかけから、駒宮副塾長の講義は始まりました。

本来あるべき経済・社会活動は、地球を浪費しない持続可能なものであり、せめて孫の代までは、持続可能な地球環境であってほしいと誰もが願っていると思います。ところが、現状はそうではありません。

最初に紹介されたのは、ケイト・ラワースが2011年に提唱した「ドーナッツ経済学」という概念です。ドーナッツの内側の円は、人間が幸せに暮らすために必要な社会的因子。外側の円には、地球環境にどれだけの負荷をかけているかが示されています。持続可能な未来をつくるためには、環境面での超過と社会面での不足をなくし、すべてをドーナツの「中身」におさめる必要があります。

この概念を元に、Leads大学は、世界各国の状況を分析しました。各国の状況を見ると、先進国は「生活の質の向上」を手に入れている代わりに、地球に対して過剰な「環境負荷」をかけていることがわかります。日本や北欧諸国など、いわゆる先進国は、社会的因子のほとんど達成していますが、その分、環境負荷は多くかけていることがわかります。幸せになることは、地球環境に負荷をかけることなのでしょうか。

もしも日本が本気で持続可能な社会を求めるならば、抜本的な改革が必要です。これまでの大量生産、大量消費型の社会ではなく、たとえば、5年で捨てていたモノを10年使うようにすれば、生産量は半分ですむようになり、産業にかかるエネルギー消費も半分に減ります。自給することや地産地消を基本にすれば、輸送にかかるエネルギーも半分になるでしょう。「買う」から「つくる」暮らしへの転換は大きな変革につながるのです。

では、私たちにとって身近な地域経済はどうなっているでしょうか。実は、この図にあるように「穴の開いたバケツ」になっています。地方に住む人の収入は、給与、年金、あるいは補助金として入ってきますが、たとえば、アルコール代、燃料費、あるいは外食費として、そのお金は地域の外に出ています。いくら稼いでも、地域外にお金が出ていってしまっては、地域経済は活性化しません。

これを「見える化」するための分析方法のひとつとして、LM3(Local Multiplier 3)があります。たとえば、外部の企業を誘致した場合、「売上」のほとんどは「外部流出」します。一方、「地産地消」に力を入れると「内部調達」の割合が増えます。「起業誘致」よりも「地産地消」に力を入れたほうが、新たな雇用が生まれ、地域経済が活性化するということです。

皆さんは、1970年代に「スモール・イズ・ビューティフル」という本を書いたシューマッハをご存じですか。シューマッハは、「仏教経済学」を提唱しています。簡単にいうと、経済とは「正しい生活」をするための仕組みであるべきだ、ということです。

「正しい生活」をするために必要なのは、「足るを知る」ことです。必要以上にものを欲しがらず、欲をコントロールすることが大切だと、彼は言っているのです。

残念ながら、 ヨーロッパが作り出した「近代文明」は、持続不可能です。これからは、元々自給経済が中心だったアジアから持続可能な経済のあり方を発信する必要があるのかもしれません。自給経済には、貨幣を介さない「贈与」や「交換」も含まれます。
日本の農山村には、自給自足を基本とし、贈与や交換によってお互いに助け合う、そんな価値観が今も残っています。この塾を卒業する皆さんが、「買う」から「つくる」暮らしへの一歩を踏み出すことを期待しています。

◆修了レポートに向けたワークショップ「X年後のわたし」

卒塾式では、塾生一人ひとりが、これから、どこで、誰と、どのように暮らし、どんな生き方、働き方をしていきたいのかを、「X年後のわたし」と題して、発表します。その準備のために、2日目は「X年後のわたし」を具体的にイメージするためのワークショップを行いました。
ワークシートに、自身の夢やこれからの構想を書いて、3~4人でグループになり、意見交換をしました。卒塾式では、どんな発表を聞くことができるのか。今から楽しみです。

◆講義「未来のための江戸の暮らし」渋澤寿一(塾長)

持続可能な社会を考えるために、今日は、江戸時代の暮らしを取り上げたいと思います。江戸時代の日本は、鎖国をしていたので、外から入ってくるモノはありませんでした。私たちの先祖は、鎖国した状態で、約250年の間、持続可能な形で生きてきました。

当時は、石油などの化石燃料を使っていません。植物や植物性プランクトン、それを餌にする動物や魚が、食糧とエネルギーのすべてでした。人間の排泄物も、当時は「金肥」といって、田畑の肥料に還元していました。江戸は、閉じられた生態系の中で、すべてが循環していたのです。

同じ時期のフランスでは、汚物を直接セーヌ川に捨てていました。当時のセーヌ川で渡船が転覆し、多くの人が亡くなる事件がありましたが、死因は窒息死でした。川でメタンガスが発生していたのです。一方、江戸の町を流れる墨田川は澄んでいて、アユや白魚が遡上していました。

庶民が住む長屋も清潔で、生活に欠かせない必要最小限のモノしかなく、長屋から出るごみの量は、男性の指の先ほどだったといわれています。モノを粗末にすると「もったいない」とか、「バチがあたる」というのが庶民の価値観だったので、江戸時代の基幹産業は、修繕やリサイクルに関わる仕事が多くありました。

『逝きし世の面影』(経済学者、渡辺京二氏著)という本には、そんな江戸時代に、日本にやって来た外国人が、日本をどのように見ていたのか。それがわかる言葉がたくさん記されています。

たとえば、日米通商条約を締結したハリスは、江戸にやってきたときに、こう書いています。「彼らは皆よく肥え、身なりもよく、幸福そうである。一見したところ、富者も貧者もない。これがおそらく人民の本当の幸福の姿というものだろう。私は時として日本を開国して、外国の影響を受けさせることが、果たして、この人々の普遍的な幸福を増進することになるかどうか、疑わしくなる」

一方、フランス人伯爵のボーボワールは、村の女性たちについて、こう書いています。
「水田の中で魚を追っている村の小娘たちは、自分の背丈とあまり変わらぬ弟を背負って、異国人に『オハイオ』と陽気に声をかけてくる。『オハイオやほほ笑み』『家族とお茶を飲むように引き止める招待や花の贈り物』『住民すべての丁重さと愛想の良さ』は筆舌に尽くしがたく、確かに日本人は、地球上最も礼儀正しい民族だと思わない訳にはいかない」

東京帝国大学の教授で、大森貝塚を発見者でもあるモースは、あるとき、二人の少女に10銭ずつ、お小遣いを渡しました。秋祭りで、二人がそれをどう使うのか、興味があったからです。少女たちは、うれしそうに、あちこちの店を見てまわりました。さんざん迷った挙句、自分たちのために買ったものは、たった五厘のかんざし1~2本でした。そして、それぞれ1銭ずつを、路上に座り込んで三味線を弾く盲目の乞食に、当たり前のように与えたのです。それを見て、モースは大変驚きました。庶民の子どもである、その少女たちに、どうして、そのような金銭感覚が培われているのか。不思議でならなかったのです。

現代の文明(経済、技術、科学)は、右肩上がりに発展しつづけなければならないと考えられています。いわば「直進する時間」です。一方で、文化(自然、知恵、環境)は、「循環する時間」の中にあります。春、夏、秋、冬と季節はめぐり、植物は成長し、その中で人間もバランスをとりながら生きてきました。

江戸時代の暮らしは、その「循環する時間」の中にありました。都市と農村が一体となったエコシステムがあり、リサイクルが主な産業で、人々の節度があり、そこには優れた芸術もありました。庶民は、明るさや好奇心があり、子どもや自然に対する深い愛情がありました。江戸時代の庶民の姿は、人類の未来に対するさまざまなヒントを与えてくれると、私は思います。

講義資料① 幸せになるための地域経済 駒宮博男
講義資料② 未来のための江戸の暮らし 渋澤寿一